1980年のコミックマーケットの記憶-ある参加者の方の視点から
<現在、Aさんのご友人方にも伺っている最中です(自分よりずっと詳しいし正確だと思うよbyAさん)>
当記事は、当ブログ管理人の身近にいらっしゃる1980年・川崎市民プラザコミックマーケット参加者の方(Aさん)からのインタビューです。
内容は分類の上である程度まとめています。
また、不正確にならないよう、まとめる際に表現を変えた箇所はAさんに確認を取らせていただいています。
「以下はあくまでも1人から見た当時のコミックマーケットです。なにぶん昔のことなので、もしかすると正確ではないかもしれません。それに、自分はSF大会、ファンタジー大会、SF小説や漫画の作者の対談イベント、純文学サークルなどにも居ましたので、その辺りの記憶と混ざっている可能性があります。ご指摘ご感想、歓迎しております」(Aさんより)
1980年(81年?)のコミックマーケット映像記録を見て〜
https://m.youtube.com/watch?v=01x2KCXPuYY
「あーこんな感じだった。でもこれ開場直後かな。2時くらいまで売れなかったらまあ売れないよね、閉まるの4時くらいだし」
当時、どのようにこういう文化に関わっていらっしゃいましたか?
「SFと少女漫画をよく読んでいた。就職後はほとんど読まなくなったね」
おお。当時の王道ですね!
「コミックマーケットに参加したのは短大の頃が最初で最後だね。高校生の頃はお金がなかったから」
高校生より下の世代がお金の工面に困るのは今も昔も同じですね。
「友人に連れられて参加したよ」
口コミルートで参加されたのですね。
このころのコミックマーケットはどんな場所でしたか?
「同人誌を売っている場所だったね」
この年代のコミックマーケットのみに参加されており、その後同人誌から離れていらっしゃった方から『同人誌を売る』という表現が出たことは非常に興味深いです。
1980年の段階では、同人誌は『売るもの』『買うもの』であるという認識が参加者さん側にあったということですね。
(参考リンク)
2010年夏コミ(コミックマーケット78)論文:「同人文化における『頒布』の意味解釈」の全文 - 犬が眠った日
「コミケでは販売ではなく頒布でなくてはいけない」はデマ(追記アリ) - Togetterまとめ
「漫画サークルの学園祭ノリだった」
なるほど。当時の雰囲気が少し想像できた気がします。
「会場の外に屋台が何軒か立っていて、食料はそこで調達した。イベントがあると絶対屋台の商売人たちが来るじゃない。焼きそばとか食べたね」
おお!今も屋台あります!たくさんあります!
「早朝から並んでいた人もいた。人気作家の同人誌は早々に売り切れるから。」
早いもの勝ちですね。
このころの同人誌界隈はどんな感じでしたか?
(Q. 現在のメインのコミックマーケット参加者年齢層は成人ですが、70年代はどうでしたか?)
「え?今の参加者、中学生高校生大学生がメインじゃないの?大人がメイン?え?」
「自分は、短大くらいになってコミックマーケットに行くといい年して恥ずかしいって感覚があったね」
当時のメイン参加者層が中学生・高校生・大学生だったということ、実際に参加された方から改めて伺うと確かに隔世の感があります。
(Q. 男女比はどうでしたか?)
「記憶にないなー」
数十年前のイベントですしね。。
「コミケのために上京してくる人はたくさんいた」
この界隈では知られたイベントだったのですね。
「当時は発表の場がコミケしかなかった。漫研サークルは学校でも発表できたかもしれないけれど。昔はネットがなかったからみんなが発表する場が欲しくてコミケを作ったのかな」
コミケが急速に発展した理由はその辺りでしょうか。皆が発表の場を欲していた。
「売られていた同人誌はやっぱりガンダムが多かったね。コミケが盛んになったのはガンダム以降じゃないかな」
初代ガンダムは1979年放映開始ということで、 1980年のコミックマーケットはまさにタイムリーですね!
「売っている側も買っている側も低年齢のど素人だったから、やおいやエロは少なかったね。短大の頃行ってもう年齢的に入れないよねって感じだったから。何故その後増えたのかはわからない」
今のコミケには欠かすことのできないBLやエロの色彩、当初は薄かったのですね。
「漫画系は二次創作が多くて女性割合が高かった。アニメ系は考察、つまりガンダムのコロニーの仕組みを徹底解明!などが多くて、男性割合が高かった」
当時のこの界隈の傾向を反映している気がします。
「昔は同人誌を作者に送る文化が一部であったね。うちらこんなことやってまーす、って感じで。自分たちのサークルが公認されたら嬉しいというのもあったかも。たとえばグイン・サーガとかも公式ファンクラブがあったね。」
ファンを公認する。。とてもおおらかな時代ですね。
(Q. 雰囲気として、原作者への遠慮やマナー意識、住み分け意識のようなものはありましたか?)
「何それ。特になかった。」
なるほど。おおらかだ。
このころのサークルについて
「サークル会員には執筆会員と購読会員があって、自分たちで同人誌を刷らなくてはならないから、執筆会員のほうが会費が高かった。何ページ描くならいくらの単位で執筆会員が金を払った。つまり、自分が書きたいものを書くんだからお金を出すのは当然でしょ?ということだね。読んでくれる人も少なかったし書き手が2、3流だったからね」
「自分が入っていたサークルは、サークル費は月額だった。会誌は郵送。購読会員に比べて執筆会員はサークル費が跳ね上がっていた」
「切手で送料だけは負担してね、本体価格は無料、っていうサークルもあったね」
「その同人誌のレベルに合わない作品は掲載やめとこうね、というのはもちろんあったから、書きたい人は自分とレベルが合ったサークルに執筆会員として入ったんだよ」
「まあ、サークル活動の在り方なんてサークルそれぞれだったよ。ただ、今みたいにネット社会じゃないから、サークルに入らないと情報は来なかったけれどね」
「連絡事項が書いてある会報ってのもあった。要するにお手紙ね。会誌とは違う。カーボンコピー会報もあったね」
とても面白いです!サークル会員、今ではほとんど聞かない言葉です。
執筆会員・購読会員・月額のサークル費というようなサークル運営自体の仕組み自体もさることながら、特に、書く人の方がサークル費が高いというのは、今の感覚と真逆です。読み手の数と書き手のレベルがキーですね。
「商業は利益を上げられるだけ刷るの。一方、同人誌は、100人の会員がいれば100人だけを刷る。新メンバーを獲得するために宣伝で多く刷ることはあるけどね」
「コミケで売っていた人には、新たにサークル員を獲得したい人や、儲けようとする人もいた。コミケに出る目的が資金源のために購読会員を増やすことだったサークルも多かったと思う。あと、もちろん、書いたら誰かに読んでほしいから」
「本来だったら同人誌出版のコストは会員でまかなわなければならないけど、それは現実的にできない。あの頃の同人誌は、みなさまが買ってくれれば次が出せます!という非常に単純な原理で成り立っていた。もしくは、学園祭の屋台のポップコーンと同じレベル。売りたいから売っていた」
確かに、中学生〜大学生では資金力もないですしね。『会員』『学園祭』『資金源』という言葉を手掛かりにすると、この頃のコミックマーケットの雰囲気がよく理解できる気がします。『みなさまが買ってくれれば次が出せます!』『学園祭の屋台のポップコーンと同じ』とてもわかりやすいです。
「それからコミケに行く一つの大きな目的として、「入るサークルを探すこと」があった。商業に持ちこみたい訳でもないから、自分が書けるサークルを探すんだよ。サークルっていうのはね、同じものが好きな人が集まって楽しむ場だから。会員が何が好きかってカラーがものすごく出た。新会員募集してますか、って売り手に直に聞いて探すんだ」
なるほど。”サークル”が形骸化していなかった時代が伺えます。
(ちなみに今は資金力がある大人がコミケメイン層なので、一人で活動している人も多いのですけれど、一人で活動していても昔の名残でサークルって呼ぶんですよー。既存サークルに新メンバーが加入するっていう話もあまり聞かないですね)
「何それ変〜」
同人誌の制作・販売・購入・回収について
「当時の同人誌は、良くない紙に白黒印刷だった。しかも、買い手が中高生で、資金をお小遣いから出している人が多かったから、値段が五百円を越えると売れない。同人誌は可能な限り安く作るということがメインだったから、高いとみんな買ってくれない」
買い手のお財布に優しい時代!
「大学の漫研だと部数が多いから印刷できたけれど。。普通のサークルはどうしていたんだろう」
確かに。活版印刷の時代ですものね。謎です。
「漫研は同人誌のクオリティが高かったね。漫研の同人誌では一冊の中に漫画、小説、考察が色々取り集まっていた。逆に他の有象無象は『以下続く』で続きが出なかったり…大抵そのパターンだった」
ネットがない時代、漫研は同人文化にとって1つの重要な場所だったということでしょうか。ちなみに、アンソロジー形式の同人誌が当時のデフォルトだったのですね。
「即売り切れる超人気作家は居た。同人誌を売りたいからその人に1ページでも描いてもらう」
確かに、売れっ子作家に書いてもらうのは最高の販促です。1つの同人誌に対し複数人の書き手がいて、なおかつ書き手の枠組みがオープンだったからできたことですね。
「人気作家は商業誌にはほぼ出なかった。というか、当時は同人界隈はレベルが低かったから企業が介入することはなかったんじゃないか」
商業誌とのクロスオーバーは起きていなかったのですね。
「そういえば、表紙だけ描いて中身は適当みたいな同人誌もあったね。立ち読みする訳にもいかないしね…」
今もあります。。
(Q. インターネットがなかった時代、興味があるサークルの新刊情報はどのように把握していましたか?)
「 所属サークルが雑誌を出すなら買えるのは確実。それから、知り合いの知り合いの知り合いから聞く…みたいな手もある。あとは行ってみなければわからない。個人情報にうるさくなかった時代で同人誌にも平気で本名住所が載っていたから、ガチファンならサークルに連絡を取ったんじゃないかな」
参加者が数千人規模で、かつ現実の人間関係=サークルだったから成し得たわざですね。すごい。
(Q. 同人グッズってありましたか?)
「何それ?ないよ」
80年にはまだグッズ文化はなかったのですね。
コミックマーケット×SF大会×コスプレの起源
「世界ファンタジー大会、SF大会の方からコスプレが始まった。アメリカでやっているなら日本でもやりたいね!みたいな感じで始まったイメージだよね。アメリカでは当時ハワード(剣と魔法ジャンルの創始者である作家)のコナンのコスプレが流行っていたとSFマガジンで読んだ」
当時のSFマガジンの影響は絶大だったんですね。今でこそコスプレは日本のサブカルチャーの象徴に近いポジションにありますが、そもそもは舶来のものだということがキーポイントでしょうか。
「衣装を作る技術もなかったし、良い素材も売っていなかったし、恥ずかしかったしで、当時はまだ日本ではコスプレはそこまで浸透していなかった」
制作技術と素材と恥ずかしさ、現代でもコスプレの大事な点です。
「当時のコミケでのコスプレは、同人誌を売るためにやっていた印象を受けるね。コスプレをして立っていれば、そこの同人誌が何を売っているかは一目瞭然だから。あ、ガンダムのコスプレはやりやすそうだった。作りやすいし、知っている人が多いから一発でみんなわかる。ジオン軍の服、絶対作りやすいよね。ガッチャマンとかは難しかったんじゃないかな、ヘルメットが。。」
とても実利的ですね!
「その後、単なる仮装ではなく、コスチュームプレイという1つの楽しみ方が定着していったんだね。お祭りの衣装の感覚だよ。お祭りの衣装を仮装という人はいないよね」
なるほど。楽しみ方が定着して、皆の意識と印象が変わっていったんですね。
Aさんがこちらのリンクを探してきてくださいました。
http://www.dreamparty.jp/cosplay/history.html
「このサイト書いた人、詳しいね。思い出したよ。最初はSF大会でのコスチュームショーだったんだよね。で、何でコスプレになったの?と周囲に聞いたら、コミケの中心の人たちがそう呼び始めたんだって言われた記憶がある」
当時のコミックマーケットの中心の人たちが、運営者であると同時にコミックマーケット文化の明確な内側からの牽引者だったことが伝わってきます。
(Q. コスプレしている人々を撮影するという楽しみ方は当時メジャーでしたか?)
「いや、知らないな」
確かに、当時はフィルムカメラでコストが高く、撮影技術も現在とは比べ物にならないですしね。1980年段階ではコスプレイヤー-カメコ文化が生まれていなかったのは必然です。
番外編:ファンタジー大会とは何ですか?
(Q. 今でもSF大会や世界ファンタジー大会はありますが、Aさんが参加されていたファンタジー大会は聞いたことがないですね。この2つとは違うイベントですよね?)
「違う違う、日本ファンタジー大会。企画運営がひどくて数回で潰れた。結構有名な作家もご招待で来ていたけれど、さっさと帰って行った」
なるほど。企画運営力はいつの世もどんなイベントでも問われてしまう。
Aさんと一緒に「日本ファンタジー大会」をGoogleで調べてみると、
「日本ファンタジー大会」関連つぶやきのあれこれまとめ - Togetterまとめ
「あったあった!これこれ!」
数十年前の数回で潰れた大会の情報が出てくる今の世の中、凄いぞ。
Aさん、上記リンク中のこのツイートを読んで
「まさにこれだね」
Oh...
かつて開催された「日本ファンタジー大会」、中身が怪奇幻想小説ファン向けだったから続かなかったのかも。だってSFや昨今のコスプレをするようなファンタジーファンとは異なり、幻想小説愛好家は根暗な四畳半引き篭もり的読者が多かったから、群れるのを潔しとしなかった。個人的なイメージだけど。
— 風間賢二 (@k_kazama) 2011年9月22日
「幻想小説が売っていて、こんなの知らなかったわ〜という感じで買った」
番外編:ファンロード(1980年創刊)って覚えていますか?
「あまり覚えていない。SF特集があったのは覚えている」
当ブログについて・コメント投稿
当ブログは1975年〜1981年のコミックマーケットの思い出を追いかけています。
今や、参加者総数50万人を超えるまでに成長したコミックマーケット。その始まりは1975年です。
コミックマーケットの最初期、参加者が数百人〜数千人の比較的小さなイベントだった頃。
当ブログは、1975年〜1981年開催のコミックマーケットの情報を集めています。
(管理人の本業のため、まったり進行であることはお許しください。。)
1975年〜1981年にコミックマーケットに参加されていた方、この年代に参加していた方のお話を聞いたことがある方、もし当ブログにご訪問いただきましたら、お手すきの折にでも、是非お気軽にここのコメント欄にコメントをお願いいたします。
コメント欄は開放しております。
(少しだけ細かくなってしまいますが、、正確には、当ブログの現在の守備範囲は『第1期晴海時代より前』です。虎ノ門日本消防会館会議室、板橋産業連合会館、大田区産業会館、四谷公会堂、一橋大学、東京都立産業会館、川崎市民プラザ、横浜産業貿易ホールで開催されたコミックマーケットが該当します)
・なぜ当時のコミックマーケットに興味があるの?
理由① 個人的な「すごい!知りたい」を追いかけて
現在の巨大なコミックマーケット。
その伝説の創成期って一体全体どんな雰囲気だったんだろう?どんな人たちがどんな同人誌をつくって、どんな人たちが手にとっていたんだろう?
こんなわくわく感が一番の理由です。
理由② 「あの頃」を今の人が知る・考えるために
実は、コミックマーケットの最初期の時代の空気を伝える情報は(少なくとも触れやすいところには)あまり存在しません。データをもとに語ることはもちろんできますが、やはりリアルな空気感まで想像することは難しい。そのため、想像で昔を語らざるを得なくなってきている部分があるのです。
これが、当時のコミックマーケットのリアルに興味がある第2の理由です。
理由③ 記憶を残したくて
コミックマーケットの最初期、参加者は数百人〜数千人でした。
つまり、今やこれほど巨大なイベントに成長したにも関わらず、そのルーツの実際やリアルな空気感を知る方々は日本に、世界に、ほとんどいないのです。
その大切な記憶を集約し、残したい。これが最後の理由です。
迷宮(めいきゅう、ラビリンス)は、漫画批評誌『漫画新批評大系』を刊行するとともに、同人誌即売会の『コミックマーケット』、創作同人誌即売会『MGM(Manga Gallery & Market)』創設の母体となったグループ。現在はコミックマーケットからは分離している。ただし、創業者特権でサークル参加での抽選を免除されている(帳簿上は、コミックマーケット創設時に迷宮からの借金でまかない、それが現在でも残っている代償ということになっている)。
参考webサイト : コミックマーケット年表